「ひろしまね」の概要
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中山間地域の現状

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 『銀河鉄・道』の旅

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その他

取材・視察等について


 
口羽をてごぉする会


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中国路元気づくり

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我聞塾

銀河鉄・道の旅


銀の道を訪ねる旅、江の川舟運ル−トを訪ねる旅、照葉樹林文化を訪ねる旅、たたらと鉄の文化を探索する旅、神楽・食文化を通した民俗文化に出会う旅などのように特定のテ−マをもった広域的な連続性のある地域探訪・発見型ツ−リズムで、一般の農家に民泊しながら地域の人々から民話や逸話、昔の生活などを聞き出し、その名残りを訪ね歩くような新しいタイプの旅である。



銀の道

現在の島根県大田市の岩見銀山の中心地であった大森から銀や銀鉱石を大阪へ運ぶために利用されていた旧街道。16世紀前半、石見銀山の開発初期は、「鞆ヶ浦道」が利用され、日本海にある鞆ヶ浦が銀の積出港であった。その後、同じ日本海にある温泉津の沖泊が銀の積出港を担うようになり、「温泉津沖泊道」が利用されるようになった。
しかし、冬の日本海は季節風が強く、の航行に支障が多いという問題を抱えていたため、徳川江戸幕府の直轄領(天領)となってからは、大森から中国山地を越えて尾道までの陸路(幅2.1m、長さ約130km)で運搬するようになった。このことで、より大量の銀が安全に運び出せるようになった。
また、尾道に至る途中の宇賀から笠岡に至る「笠岡道」も整備され、同じく瀬戸内海にある笠岡の港も銀の積出港となった。石見銀山からの瀬戸内海への銀の輸送は、幕末まで行われた。

この銀を運んだ沿道にある地域資源をまとめたものが、「銀の道ガイドブック」(A3版24ページ)である。




河の道

江の川(ごうのかわ)は、広島県山県郡北広島町の阿佐山を水源とし、安芸高田市の八千代湖を経て大きく東進し、三次市で馬洗川、西城川、神之瀬川と合流したのち北上して島根県江津市に至り日本海に注ぐ全長194km、流域面積3,870kuの中国地方最大の1級河川である。
流域の地形的状況により河口部に大規模な平野部(を利用した農地など)を作らなかった事から「無能な川」と呼ばれた。しかし中国山地を横断して日本海に注ぎ、水量も豊富であったため、交通機関が発達する昭和初期まで「川の道」として交通の要となっていた。

江の川沿いの歴史、民俗、自然などに関する地域資源をまとめたものが、「河の道ガイドブック」(A3版22ページ)である。






鉄の道

中国山地は、原料となる良質の砂鉄と「たたら製鉄」に欠かせない木炭が豊富に生産できたことから、古代から中世にかけて鉄の一大生産地となり、中国山地で生産された鉄が都へ運ばれるようになった。
西は、山口県の阿武地方から兵庫県の千種川流域までの広範囲にわたって「たたら製鉄」が行われ、最も古い時代の製鉄遺跡は、広島県三原市の「小丸遺跡」で、西暦200年ごろである。

この和式製鋼法に関連する地域資源をまとめたものが、「鉄の道ガイドブック」(A3版28ページ)である。




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